2010年01月19日
なりたい自分に必ずなれる 2
母が家を出て、1年経った頃。
家に電話が。
出ると、しばらく無言が続き
「・・・・・・みわ・・か・・・?」
「・・・お母さん?」
1年ぶりの母の声でした。
母への気持ちと、置いていかれた複雑な思いで涙が出ました。
「お母さん、なんで私達をおいて出て行ったの?!」
感情があふれ出ました。
が、
母は
「親に向かってその言い方はなんだ!」
逆にキレられた~!?と、思いつつ・・
(こういう天然?な母です)
母が今どこにいるのか、家に帰ってくるのか?
どこでなら母と会うことが出来るのか?
中3の私にできることは少なかった。
家には借金がありました。
借金の原因は、父が母に生活費を渡します。
すると母はその生活費でやりくりをするのですが、
その金額が少なくギリギリでした。
母は父に、これでは足りないと言います。
父は、なんでこれで出来ないんだと怒ります。
それが何度も繰り返されるうちに、
母は、父に請求することが恐怖となり言えなくなり、
高利貸しから生活費を足すようになりました。
自分の為の贅沢は一切せず、家庭の生活の為、子供の為に
借りていました。当時の高利貸しの利息は10万円かりたら1年で100万円となる時代です。
たった2万や5万や、小さな金額でも実際足りてない状態で借りるわけですから、毎月返すお金があるわけないのです。ですから、母が父から請求できずに高利貸しから3万や5万、10万と借りた時は本当に少額
ですが、あっという間に凄い金額になり、家の父の元に請求がくることになるのです。
高利貸しから母がお金を借りてるなんて知らない父は、ある日突然100万円近くの借金を請求される。
父は怒りまくりです。父も母も、悪循環でした。
そんな借金が3~4回繰り返されたそうです。
その度に、父は100万円というお金をなんとかして返済する。父の気持ちもわかります。
父は、貧乏な家庭に育ち、田舎でしたから親に食べさせてもらう、というよりは少し大きくなったら働きに出て親に仕送りをするという環境で育っているので、「親からお金をもらう」のではなく、「親にお金を渡すもの」という価値感。
ですから、子供にお金をかけることに抵抗が凄くありました。
私の家族で、誕生日会もなければ旅行もない。クリスマスも無い。
母は、そんな子供達をかわいそうに思い、なんとかしてあげたい、でもそんなお金はない。
やりくりに関しては、母は逆に食べ物にも物にも困らずに育っているので、やりくりが出来ないのです。
母も父も、それがベストでした。
5回目の借金が発覚した時、
私は二階で寝てるのですが一階で怒鳴り声。
夜中に一階で母が怒鳴りつけられて殴られているのはしょっちゅうでした。
でも今回は、よりひどい。
かつて小さかった私は怖くて一階に下りることができません。とめることができません。
中2となった私は、勇気をふりしぼり父をとめようと震えながら一階に行きました。
髪を引きづられ、叫ぶ母。その後殴られ壁にもたれている母の顔。
顔を蒼白、焦点がない。魂が抜けているのです。
「生きながらに死んでいる」という母の顔を、今でも忘れることができません。
お酒を凄く飲む父は、酒の力も増長し、怒りを止めることも手を上げることも、とめる事ができません。
それでも尚、続けようとする父を、生まれて初めて止めました。
自分も殴られるかもしれない恐怖。私をなぐりはしませんでしたが罵倒されます。
母は、この事件で家を出て行く覚悟を決めました。
「借金は自分ひとりで返そう。このまま家に居たら家庭は崩壊し、子供達まで殴られたりすることになる」と。